天理教婦人会

ひながたをたどり 陽気ぐらしの台となりましょう

それぞれの風景 「笑顔の理由(わけ)」

 中島みゆきさんの曲は、人の心の痛みをテーマにした歌が多いと聞く。『銀の龍の背に乗って』という曲に「柔らかな皮膚しかない理由(わけ)は 人が人の傷みを聴くためだ」という一節がある。相手と同じ痛みを感じるからこそ、その痛みを理解し、思いやることができる。それは人の痛みを感じることが優しさの源泉になることを歌っているように思える。
 人の痛みを聴くのは、自分の痛みよりもつらく感じることがある。昨年の東日本大震災では津波によって大地や家屋ばかりではなく、人々の心にも深い爪痕(つめあと)を残した。だが、私の周囲では、苦しみや悲しみを背負ったはずなのに「大丈夫です」と明るく笑顔で言う人が多い。実際、涙を見せられるより、その笑顔に何となくこちらが救われるような気さえする。
 女子青年のM子さんもその1人である。彼女の父親は津波によって家ごと流されてしまった。父親はいつも明るく、人のことばかりを心配し、自分のことを後回しにするような人であった。3日後、数キロ先の田んぼに屋根が発見された。だが父親の姿はなかった。それから毎日、2人きりになった彼女と母親は、行方不明の父親を捜しに歩いた。捜すと言っても、それは大声で父の名を呼んで捜すのではない。遺体安置所へ通うのである。100以上の棺おけが並ぶ体育館。その一つひとつのふたを開けて父親の顔を捜す。22歳の彼女にとって、それは耐えきれないほど過酷なことのはずである。
 しかし彼女は教会へ参拝に来て、私たちに「今から父を捜しに行ってきます」と明るく笑顔で言う。その健気(けなげ)な笑顔がせつなかった。「悲しいんだから泣いたっていいのに、なぜ泣かないの?」。その笑顔を見るたびに私は心の中で言った。
 父親が発見されたときも、安置所に駆けつけて泣く私に「ありがとうございます。父に会えてよかったです」と笑顔で言った。

 芥川龍之介の作品に『手巾(ハンケチ)』という短編小説がある。ある日、主人公の大学教授の所へ教え子の母親が訪ねてきた。テーブルを挟んで座る母親は、突然の病で息子が亡くなったことを告げた。教授は、その母親に、ある不思議さを感じる。少しも自分の息子の死を話す母親の態度や挙措(きょそ)、表情ではない。声も平生(へいぜい)の通りで、眼には涙もたまっていない。その上、口許(くちもと)には微笑さえ浮んでいる。これで、話を聞かずに、外貌(がいぼう)だけ見ているとしたら、誰でも、この婦人は日常茶飯事を語っているとしか思わない。
 そのとき、教授がうっかり床に落とした団扇(うちわ)を拾おうと身を屈(かが)めたとき、膝の上に載る婦人の手が、激しく震えていたことに気づく。感情の激動を強いて抑えようとするせいか、手巾を両手で裂かないばかりに固く握って。教授は気づく。
「婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである」。

  M子さんの笑顔の理由(わけ)も、きっと私たちに心配させたくないという思いやりだったに違いない。また、いつも明るく人に接していた父親の生きざまを思っていたのかもしれない。
 最近になって、M子さんの母親が私に教えてくれた。M子さんは震災後、しばらく不眠症に悩まされたと言う。毎夜、目をつぶると父親の顔が浮かび、涙がとめどなく溢(あふ)れた。「1人になりたくない」と母親の側に来ては、眠れず何度も寝返りを繰り返し、やがて夜が明ける。
 その彼女は、今年、修養科を修了した。おぢばでの3ヵ月は、毎日ぐっすり眠れたと喜んでいた。そして今、「人の役に立つことがしたいです」と笑顔で言う。
 笑顔と涙。涙の味がわかるから笑顔になれる。それは、陽だまりに咲く花と土の中で支える根のようなものかもしれない。それは震災に限らない。日常の暮らしの中で、心配させまいと顔は明るく笑っていても、心は悲しみに震え、泣いている人は多いだろう。
 
 ふと、おたすけについて考えた。おたすけ先を求めてにをいがけに歩く。おたすけ先は自分で探し求めているようで、実は、教祖に与えて頂いているようにも思う。たすけたいという心を受け取って下さって、「この人をたすけさせて頂きなさい」と縁を付けて下さっているのかもしれないと思うときがある。だが、人の心の痛みに鈍感だと、自分にたすけ心が湧(わ)かず、におたすけの機会を与えて頂けないこともあるのではないだろうか。 
 人の心の奥底にある痛みに敏感でいたい。それは、たすけ心の源泉(げんせん)になるはずだから。

加藤元一郎 『ウィズ・ユゥ』vol.29(2012年8月発行)より