天理教婦人会

ひながたをたどり 陽気ぐらしの台となりましょう

ワイワイたすけ合い 「10.魂の成長を応援しあう台たらん」

付録 母親講座より (立教171年10月26日 於・天理市民会館)

10.魂の成長を応援しあう台たらん(抜粋) 
 
 ―をびや許しのありがたさ― 

 今日は、私が、「をびや許し」の素晴らしい実例として、思い浮かばせて頂くベストスリーのお話と、産婦さんは元より社会皆で「親心にもたれて人事を尽くそう」というお話をします。

 

1.をびや許しをもらえる日まで、あと何日

 最初の話は、妊娠四ヵ月で破水してしまった双子の赤ちゃん達の話です。そもそも赤ちゃんというのは、妊娠八ヵ月(三十五週)以降に破水するのであれば、今の日本の普通の病院なら、ほぼ百%助かるでしょう。でも、妊娠四ヵ月は厳しい。まず、ほぼ百%あきらめざるを得ないと言っても過言ではないでしょう。

 その時、そのご夫婦にも「このまま流産になっても、それはそれで神様のなさることだから…」と言った覚えがあります。それでも、豆粒ほどの赤ちゃん達が、お腹の中で頑張って生きている以上、「まずは最初の二十四時間、陣痛や感染兆候が出て来ないか」「最初の二十四時間を、もしクリアさせて頂けたら、次の三日間」「三日もったら一週間」「一週間もったら次の一週間」と、とうとう破水したまま、一日千秋の思いで、妊娠六ヵ月の「をびや許し」の日が迎えられた時は、「これで、をびやで守って貰える」と一同抱き合うような気持ちでした。

 私がおさづけをお取り次ぎするたび、豆粒ほどの赤ちゃん達が、きちんと膝をおって手を合わせて、こちらに向かって拝んでくれる姿が、いつも脳裏に浮かんできて、「ああ、この子達の魂は生まれる前から何百回も、おさづけを受ける徳のある魂なんだなぁ」と思っていました。とにかく家族、教会、大教会こぞって、この子達の無事を、皆が祈り続けて、生まれてきた男の子達でした。ご家族は本当に一丸となり、お父さんとお母さんの頑張りは、並大抵のものではありませんでした。

 お父さんは、理の親さんのおっしゃることを聞いて大きな心定めをしました。毎日毎日奥さんを励まし続けました。

 お母さんは、破水してからずっと、ベッドに寝たきりの安静で、少しでも羊水がこぼれないようにしながら、「こんな寝たきりの私でも、おさづけをさせてくれる人を連れてきてくれないかしら」と、私が連れてきた身上の方におさづけを、寝たままお取り次ぎしていました。互いに相手の身上を願って、涙々でおさづけを取り次ぎ合っておられました。お母さんはその後、赤ちゃん達をお腹に留められるだけ留め、限界が来て八ヵ月でNICUのある病院に母体搬送されて、帝王切開でお産になりました。

 双子のうち、破水していた方のお兄ちゃんは、心臓の病気も分かっていたので、そのための手術も必要とされていましたし、感染や、羊水が少なかったため、後遺症の心配も高かったのです。弟君の方とて、お兄ちゃんの破水による感染の可能性や、早産の双子で生まれることによる後遺症の心配がありました。今、二人が小学生になり、走り回り元気にしゃべっている姿を見かけるにつけ、他の多くの四、五ヵ月で破水して流産して行かれた方々のことも知っているだけに、「あの時、豆粒程でこちらに向かって手を合わせていた二人がこんなになって」と、その何でもないような鬼ごっこが、これ以上ない奇跡に思われるのでした。

 

2.をびや許しのフル活動

 二つ目は、学生結婚の人達でした。二人は留学生同士で親にも認められた結婚でしたが、お金もなくお産の二ヵ月前まで健康保険にも入っていませんでした。

 奨学金で生計を立てていたので成績を落とすわけにはいかず、欠席も多いと留年になってしまうので、お産のために五日程度休んだ後は、すぐに堅い椅子に座って授業も受けなくてはいけないので、お産の時におしもに傷ができないように、「くにさづちのみことさま!」と安産を願っていました。本当に無事な妊娠経過の「身持ちなり」、安産の「早め」、産後の「治め清め」の御供(ごく)でした。

 卒業式のすぐ後に、なんともう一人生まれました。二人の女の子達は今、素敵なお嬢さん達に育っています。自分の国からお友達を連れて「こどもおぢばがえり」に帰って来てくれました。海外布教の架け橋となってくれています。

 

3.のばしなりともはやめなりとものご守護

 三番目は、「のばしなりとも」のご守護のお話です。切迫早産や合併症などで同じ部屋に入院しておられた患者さん同士のお話なんです。Aさんは天理教の方で、Bさんは違いましたが、二人は仲良く各々の赤ちゃん達を一日一日指折り数えるようにしていました。ところがある日、Bさんが急に、まだ八ヵ月なのに産気づいてしまったのです。

 赤ちゃんは、九ヵ月の三十五週以降にならないと、肺の成熟が未熟で、たとえ泣いてくれても、例えて言うと、羽化したての濡れた蝶の羽のようなびしょびしょの肺が、風船のように膨らまないので、酸欠になってしまうのです。だから、お産をくい止めきれない時は、お母さんに肺が広がりやすい薬を注射して、胎盤を通じて赤ちゃんにあげたり、小児科の先生に、お産に立ちあってもらって、人工呼吸の準備をしてもらったりしなくてはいけないのです。

 Bさんは、産気づくや子宮口がどんどん開き、赤ちゃんの肺を広げる注射をしても、赤ちゃんに効果が届く暇もないくらいです。おまけに二つある分娩室では、他の十ヵ月の方が、お産をされている真っ最中でした。

 お産は、たとえ十ヵ月に入っていても、元気な赤ちゃんの顔を見るまでは、何があるかしれません。気を抜いてもいいお産などないのです。

 Bさんのお産は進む、分娩室は前の人がいきんでいる、小児科の先生は、自宅から駆け付けてくれるのに三十分はかかる。Bさんの赤ちゃんが生まれてしまえば、多分息ができないという場面で、陣痛室にAさんが入って来たんです。「私も、何かできないかしら?」「のばしのおさづけってできるかな?小児科の先生が着くまで! たとえ三十分でも!」「わかった!」パンパンパンパン、Bさんも手を合わせています。そしてとうとう分娩室にBさんが入りお産になるという時、小児科の先生が間に合ったのです。Bさんの赤ちゃんは、小児科の先生に蘇生処置を受け小児科に連れて行かれました。その後大きくなって、とても可愛い女の子になりました。Bさんは、その子の前にお一人亡くしていることもあり、それはそれは喜ばれ写真を下さいました。今でも私の宝物です。

 赤ちゃんが無事生まれるたび、どの子にもどの子にも、「よかったなぁよかったなぁ」と、気づくと一人に三十遍くらいは言っています。どうかすると、大人のおじさんの顔の中に、その人の赤ちゃんの時の顔を想像して、「無事生まれてきただけでも、すごいことだ」と内心思っていることさえあります。本当に、人は生きているだけでもご守護なのです。多少勉強が苦手でも、運動が下手でも、生まれてきた日の、あの喜びが、出発点なのだと思います。

 

4.をびや許しの親心

 今から百七十年前の立教の頃、お産と疱瘡(ほうそう)(今の天然痘)は、頑是(がんぜ)なき子どもの命の関所でした。そこで親神様、教祖は、一、「をびやほうその守り」を何より先ず一番に、二、「一つ間違えれば命も危ないという」場合のためしを御身にかけられてから、三、「常の心の善し悪しは言わん」という、三重の親心をかけられて出されたのです。そして今なお、おぢばのかんろだいを囲んで「をびやつとめ」をお勤め下さっているのです。この絶対的な親心を、信じ凭(もた)れていれば、必ず安産のご守護があるのです。どうぞ、妊娠六ヵ月になられた妊婦さんは一人でも多く「をびや許し」を頂いて下さい。そして、「をや」のご守護を絶対的に信じ切って下さい。

 

5.お産は社会皆で人事を尽くすもの

 皆さんの中には、お気づきの方もおありでしょうが、今日の妊婦さんには、昔の方と違った苦労があります。そのことに、当の妊婦さんも社会も、私達も、気付き配慮する必要があると思うのです。

 どう言うことかと申しますと、まず、世の中は、価値観や倫理観がとても多様化してきました。さらに、自由とセットの「自己責任論」の考え方も広まっています。昔、箱入り娘として否応(いやおう)なく守られていた若い娘さんに、今は、たとえば出会い系サイトなどを代表する、貞操(ていそう)の危機(古くてすみません)や、覚せい剤、感染、DVなどの、身体的危険にもさらされやすくなっています。お酒や煙草も、簡単に手に入ります。私達が十代だった頃と、同じように十代は十代の幼い頭なのに、誘惑や危険はとても多い世の中になり、妊婦も例外なく巻き込まれやすいのです。

 若い女の子が身近にいらっしゃる皆さん、「年が違うから」といって、敬遠したり恥ずかしがったりしないで「おはよう、元気? 最近おもしろいことあった?」と声をかけてみませんか? もしも表情が冴えなかったり、体調が優(すぐ)れなさそうだったり、怪我や痣(あざ)があったら、「どうしたん?」と言ってあげて下さい。昔より本当に、危険も誘惑も増えているので、妊娠、中絶、DV、性感染症、覚せい剤などに、悩んでいても言えない子が、とても多いのです。最初から心を開いて、相談をしてくれるとは思いません。でも、関心のアンテナと、責めずに受け止める、受け皿の準備をしておきましょう。もちろん秘密は厳守です。

「ふしだらな子だ」とか、「自分のせい」「特別な子」「この子に限って」とか言わずに「何でもありの世の中だから、誰でも、どんな目にも遭うかもしれない」と思って下さい。産婦人科の現場では、とっても優しい妊婦さんが、「物干し竿にぶつけた」と言って、目の周りをパンダのように黒くしていたり、お腹を蹴られたりしていて、実はDVの被害者だったりする人がいます。またナンパされて、はじめてお付き合いした人から性感染症になってしまい、液体窒素で出来物を焼きに通わなくてはいけない上に、そのことで家族から体罰を受けたりという辛いケースがあります。いい意味で、人に関心を持ち、絆やネットワークを広げて、孤立を防ぎましょう。お道の人同士、拡大家族のようになりましょう。

 ものすごく高い能力で一人で生きていけるより、たとえ低い能力でも、皆でワイワイ珍道中のようなたすけ合いで、生きていける生き方に私は感謝しています。だからこそ、つまずいてもたすけたすけられる生き方を、もっと皆に広げたいのです。

 子どものことは、出産年齢の女性が頑張ればいいと思いこんでいると、「本当は子どもをもっと持ちたいのにできない、少子社会」になってしまうと思います。昔は行き過ぎた面もありましたが、昔のように妊婦を社会全体が守ろうとするいい意味での「おせっかい」というか「ねぎらいや関心の声掛け、援助」が必要なのだと思います。「無理して貧血や切迫早産や妊娠中毒症になっていないか、お金はあるか、育児ノイローゼになっていないか、女子青年は恋愛・妊娠などに悩んでいないか、今は多様なことが起こりうる時代なのだから」と気にしてあげましょう。

「もちろん私達助産師も助産ようぼくとして、自分ができること、すべきことにベストを尽くし、社会への提言もしたいと思います。共々にそれぞれの立場で人事を尽くしましょう。親心の中の親心にお凭れしつつ。

 これからも「をや」の手をしっかり離さないで、低く優しく明るく前向きに、一瞬一瞬、教祖ならどうされるだろうかと考えながら「ひながた」を辿りたいと思っています。

 

 

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